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金沢・自衛隊機墜落50年が経過、癒えぬ心の痛み(過去の痛みVol.8)

F-104Jの写真

金沢自衛隊機墜落の写真機体の破片が右眉に下から突き刺さり、鼻や左耳も切れ血に染まった。

1969年2月8日正午ごろ、金沢市泉2の住宅密集地に、航空自衛金沢自衛隊機墜落現場の写真隊小松基地所属のF104J型戦闘機が落雷を受けて墜落した。死者4人、重軽傷者23人、全焼13棟、半焼・半壊計8棟、被災者数は112人。この墜落現場をわたくしたちは訪れた。閑静な住宅街の一角。この路地裏が50年前火の海と化したとは、とても想像できないでいた…いわれてみれば墜落した地点の家々は少し新しくも見えたが、その痕跡を強く感じるほどではなかった。不自然に慰霊碑が一角にあることでその『過去の痛み』を読み取ることができた。

「機体と一緒に死にたかった」パイロットの心の痛み金沢自衛隊機墜落

機体の破片が顔に突き刺さり意識不明になった理容師の山崎麗さんは「五十年と一口では片付けられない。心に大きな傷が残ったままで、僕にとって現在進行形」と重い口を開いた。だけど「誰かを恨みたいとは思わん」とパイロットも思いやる山崎さん。航空機の墜落は操縦する側も被害者も心の『痛み』を抱える。半世紀を経過してもその心は双方癒えない。山崎さんのもとにパイロットとその妻が訪れ、「機体と一緒に死にたかった」とぼそりと言ったという。空の安全をどう確保していくのか考えずにはいられない瞬間だ。

飛行機落雷の写真半世紀前の機体は落雷で壊れた

今でこそ、航空機は落雷を逃す機構があるが当時の機体はそれができなかった。落雷により計器類がダウン、操縦不能で脱出。 パラシュートで米丸保育所付近の田んぼに脱出した。当時F-104Jは時速450キロで飛行中で、機首を上げようとしたが上がらなかったという。被害に遭った山崎さんは当時理髪店の見習い中、ちょうど入り口でお客さんを見送って振り返った瞬間に跳ね返った機体の破片が顔に刺さった。店のオーナーとお客さんは脱出できたが、山崎さんは取り残され火の海になった。小松空港を離陸して間もない機体には燃料が満載されていた。当然火の勢いは想像できる。店のオーナーの妻が駆け付けて、なんとか助け出してくれた。

ボーイングAI搭載無人戦闘機公開AI戦闘機の画像

米国ボーイング社は戦闘中に有人飛行機のそばを飛行する無人戦闘機(ボーイング・エアパワー・チーミング・システム)のプロトタイプを発表した。無人戦闘機には複数の人工知能が搭載されている。現在は有人飛行機の護衛が主目的です。今後はトラブルを起こした機体からパイロットが脱出したあと、補助電力で市街地以外に誘導するような技術開発を支援したいと考えています。金沢の地で亡くなられた4人の方のご冥福を祈るとともに、心に傷を負った皆金沢自衛隊機墜落慰霊碑の写真様のためにもAIによる運輸安全の支援を続けます。

 

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